2021/05/29
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2020/01/02

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2021シーズン緒戦

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2021/ 05/ 29
                 
気がつけば5月末、忙しくてこのブログの更新を忘れていました。
うな研のシリーズ戦は4月大会から始まってますが、私は低水温を得意としており、かなり自信はあったのですが、まさかのボーズ・・・
そしてなんと、他の選手も全国的な不調で、4月大会はうな研始まって以来の全滅を喫し、歴史に大きな汚点を残すこととなりました。
そして迎えた5月大会、昨年は湿気た花火のようにいまいちパッとしなかった愛知のぶんやさんが金曜日に82cmを釣り、復活の狼煙をあげましたが、土曜日になんと愛知の古豪たぬきさんが自己最長記録を更新する85cmを釣り上げました。
最終日の日曜、私としては、なんとかしてこの赤味噌勢に一矢報いたいとの思いと、和歌山のhidekiさんとの雨中我慢大会、久々の80ラッシュに闘志はMAXとなり、何年も前から目をつけてはいたけど、アクセス路がわからなかったポイントになんとかたどり着き、竿も仕掛けも急遽そのポイントに合わせて変更し、戦闘開始。
開始直後に60半ばが来ましたが、もっと大きい奴を呼んで来いと言い聞かせてリリース。
そのあとはモクズのアタリのみで静かに時間が過ぎていきましたが、第二時合いよりも早い時間に突然の大アタリ。
足下の岩に潜られて、水に入る決心をし、ダメもとでもう一度だけ引いてみるとズルズルと引き出せました。
11時の撤収間際にもまたもやでかいのが来ましたが、足元で姿を確認した次の瞬間に鉤が外れました。
確実に二匹目よりでかかった・・・ま、こいつは6月大会で仕留めます。


ぱらまた84結果的にはたぬきさんに一歩及ばぬ84cmで二位。
しかし、うな研始まって以来、12年目にして初の80オーバーそろい踏みの表彰台です。
4月大会全滅の鬱憤を晴らすかのようなこの快挙、実に満足感と充実感のある大会となりました。

1622286915144.jpg
5月大会終了時点でのランキングはこのようになってます。
上位3人は僅差で、ほぼ横並びです。
6月7月大会は今年初の試みとして、期間も二週間で2回の出撃ができるので、大きく順位に変動が出ると思われます。

            
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うな研4月大会

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2020/ 04/ 28
                 
 先週はうな研の4月大会やってんけど、大半のメンバーが25日の土曜日を出撃日に選択。 ワイも25日やったんやが、餌のミミズが今年はむっちゃ成長が遅く、何か所か回ってもマッチ棒ぐらいのしかおらん。 そこで考えて作戦変更。 
当初予定していたポイントを含む三か所をミミズ以外の餌三種類を使って25日は調査に切り替え、出撃日を26日に変更した。 
25日は三か所回って丸ボーズ。 
25日出撃組もまだこの時期の低水温で釣果は芳しくなく、岐阜の施設長さんの69センチのみ。 
これで迷いは吹っ切れた。 
本来は5月のポイントとして選択していた場所に突撃。
7603.jpg

日没直後の18時、まだ明るいうちに一本目が。 その直後にさらにでかいのが来たけど、岩に潜られ、それでも何とか引きずり出して水面まで浮かせ、タモ入れ寸前に痛恨のハリス切れ( ゚Д゚) 鋭利な岩に擦れてハリスに傷が入ったんやろな。 一本目は目測で60前半ぐらいに見えたから、これでは勝てんと移動を決意して、車に戻り、底辺80センチのビニール袋に入れて取りあえず簡易計測してみたら、な~~んと、70ありそう。  この時期としては納得のサイズなんで撤収。 
7688_0.jpg

持ち帰って正式に計測してみると・・・
DSCF4986.jpg

この時点で暫定トップの71cm。
あとは静岡のodaiさんが朝までやるみたいやから、それの結果待ち。

で、けっきょくodaiさんは奮戦するも撃沈。( ゚Д゚)

DSCF4996.jpg

一年ぶりの優勝! 4四月大会は2年連続(^^♪

この調子で突っ走り、今年はなんとかして年間チャンピオンをとりたいけど、ライバル陣も5月からは調子を上げてくるやろから、そうは簡単に問屋が卸してくれんやろな。

                         
                                  
        

2020うな研役員会♪

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2020/ 02/ 28
                 

先日、うな研の今年のスケジュールやその他諸々を決めるために岐阜県関市のメンバー宅に集まって役員会を開きました。 
役員会とは言え、そこはうな研。
食い物には拘ります。
私は昼飯担当だったので、今回は特製ハンバーガーを作りました。
ファーストフードのイメージが強いハンバーガーですが、ちゃんと作ればちゃんと美味しく、栄養のバランスにも優れた完全色です。
用意したバージョンは二種。
先ずは挽肉を作ります。
ミンサーで牛すね肉とサーロインの部分を1対1の割合で粗挽きにします。
玉ねぎやパン粉などの繋ぎは一切使わず、黒コショウと塩のみで練り上げます。

S__6414416.jpg
これを鉄板で焼き、最近燻製作りに凝ってるぶんやさん持参の特性ベーコンとチェダーチーズを挟んだ「ベーコンエッグバーガー」の完成です。
もう一品は、先の挽肉に、特性ベーコンを粗挽きにしたものを1対1で混ぜたものをパテにした50:50.
アメリカで人気のあるバージョンです。2708 (2)
これと生のパイナップルの輪切りをソテーしたものをと一緒に挟んだ「アロハ」
どちらも絶品でした。

晩飯はうなぼうずさんが早朝から丹後の久美浜まで車を飛ばして仕入れてきた活けの松葉ガニ。
蟹しゃぶと蟹すきでいただきました。

S__6414435 - コピー
〆の雑炊まで平らげたときには腹パンパン・・・
あ、ちゃんと役員会もやりましたよ。(^^♪

                         
                                  
        

清水のおやっさんとおばちゃん

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2020/ 01/ 02
                 
   
            フキの唄-吉田拓郎

国宝姫路城は数年前に「平成の大修理」が終わり、その白鷺のように真っ白な姿が訪れる人の目を楽しませていますが、先の「昭和の大修理」は昭和35年ごろだったと記憶しています。
イメージ 1
          昭和の大修理中の姫路城です。

その当時、私は姫路城から数百メートルのところに住んでおり、小学校4年までをこの地域で過ごしました。
フキの唄の歌詞にもあるように、このころの日本はまだまだ貧しく、近所同士で助け合って生活していたものです。
もっとも、当時は私も子供なので、実際の苦労や貧しさのほとんどは親が背負ってくれていたわけですが・・・
家の前の道路は普段は子供の遊び場になっており、アスファルトに蝋石で落書きしたり、ケンパ遊びをしたり・・・
車が来ればどけば良いみたいな感じで、今では考えられないほどのどかなものでした。
通りに面して「天龍」というお好み焼きやうどんを出す店があり、日の暮れるころには仕事を終えた近所のおっさんや父親たちが一杯やっており、表の道路で遊んでる子供たちも店内に呼び入れられておでんやかき氷にありつけるわけです。
私が住んでた家は、木造の二階建てが10軒ほど連なったような形で、我が家は東の端でした。
西の端に清水さんという家があり、ここの千代ちゃんは私より四つ上のお姉ちゃんで、お互いの家を我が家のごとく行き来して、まるで兄弟のようにして育ち、まさに家族ぐるみの付き合いでした。まさに映画「三丁目の夕日」の世界ですね。
千代ちゃんとは今も親交があり、年に一度は会っています。

前置きが長くなりましたが、その清水さんちの親父さんとおばちゃんが今回のタイトルの「清水のおやっさんとおばちゃん」です。
なにぶん50年以上前の話なので、私自身の当時の記憶と、後に人から聞いた話などを合わせて編集した記憶ですから多少の間違いはあるかもしれませんがそこんとこはご容赦を。

清水さんちは店舗を兼ねた自宅で関西で言うところの煮売り屋、要するに惣菜店を営んでおり、おやっさんは毎日ごっつい運搬用自転車で市場に仕入れに行っておりました。
また自分で天然ウナギを捕ってきて、それを炭火で蒲焼にして販売もしており、恐らく私が初めて食べたウナギはこれであったと思います。
おやっさんは元は相撲取り、地元では顔役的な存在、でも顔役と言っても決してこわもてタイプではなく、気は優しくて力持ちを絵に描いたような人で、人情に厚く男気にあふれた人でした。
清水家の家族構成は、おやっさん夫婦と千代ちゃんとその上にお兄ちゃんが二人。
一番上が源次兄ちゃんで、大工の職に就きその当時すでに結婚して、清水家の裏庭に小屋以上家以下の建物を建てて住んでおりました。
おやっさんは当時で60歳を超えてたので、千代ちゃんはずいぶん遅い子供ということになります。

ここからは後に人から聞いた話です。
戦前から戦後すぐにかけての話なのですが、町内に女癖の悪い散髪屋のおっさんがいまして、そのおっさんがよその女に子供を産ませてしもたんです。
で、この女が押しかけてきて赤ん坊を散髪屋に置いていきよったんです。
散髪屋の奥さんは半狂乱になり、おっさんは赤ん坊といっしょに家を追い出されそうになり、町内を巻き込んでの大騒ぎヽ(^o^)丿
それを見かねた清水のおやっさんが、「うちは子供がおらんから、うちで引き取って育てるがな」ということになり、赤ん坊は晴れて清水家の養子となりました。
この赤ん坊が源次兄ちゃんです。
その後、また別のところから両親を亡くした女の子も引き取り、清水夫婦は二人の子持ちとなりました。
けっして経済的に恵まれた環境でもなく、夫婦で必死で働きながら二人の子供を育てていた矢先、あろうことか、おばちゃんが病気で急死してしまったのです。
さて、大変なのはおやっさんです、仕事をしながら二人の子供を育てなあきません・・・
そこで登場するのが急死したおばちゃんの妹です。
「義兄さん、子供二人残して姉ちゃんが死んでもうて大変やな~ もし義兄さんさえ良けりゃ私を後妻にしてえな。 子供は私が面倒見るがな」
てなわけで、先妻の妹さんが後妻になり、子育てと店の切り盛りを引き継ぐことに・・・\(◎o◎)/!
そして、この後妻さんとの間に生まれたのが、千代ちゃんとその上のお兄ちゃんです。
私が実際に面識があり、そして可愛がってもらったのがこの後妻さんなんですが、このような事実を知ったのは近年になってからです。
清水のおやっさんと二人のおばちゃん、この3人の考えや行動には「打算」などは皆無で、正に人情と優しさの塊のような生き方です。
普通なら養育費や教育費など、あれこれ数字が脳裏をよぎって当然ですし、まして食糧難の時代でもありました。
それを意に介さず、二人の子供を受け入れたおやっさんと二人のおばちゃん、自分たちは何一つ贅沢をせず、4人の子供を立派に育て上げました。
日本が今よりもずっとずっと貧しかった時代、私はその後半部分を体験しているのですが、あの時代にこんなにも心の豊かな人がすぐ近所に住んでいたこと、そして家族ぐるみの付き合いが出来たことは私にとって実に幸せであったと思います。
現在の日本は様々な問題を抱えていますが、昭和のあのころを思い出し「足るを知る」ことで解決することもあるのではと考えています。
                         
                                  
        

令和二年元旦の富士

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2020/ 01/ 02
                 
令和二年元旦の富士明けましておめでとうございます。 
午前中は雲がかかってて見えなかったのですが、夕方には雲が無くなり、夕映えの綺麗な姿を見せてくれました。
今年初の我が家からの富士山です。